ウツから抜けるまで

ウツっぽさを抱えながら働く会社員が考えたことをまとめるためのブログ

抑圧とは不快なものである。抑圧は自分の行動や考えを制限し、色々なことに対する解決策を見つけられなくする。

抑圧はどこからくるかと言えば、私の場合は自分自身である。けれど、最初に私に抑圧を植え付けた人は誰か?

親と学校の先生だ。

私の親は両親とも精神的な困難を抱え、カウンセリングやメンタルクリニックでの治療を受けていた。その親から受けた抑圧は計り知れない。

ゲーム、読書、音楽、友人と遊びに行くこと...。中学生から高校生まで禁止されていたことだ。

学校の先生からの抑圧も色々あった。今はどうかわからないが、当時は体罰をふるう先生が結構いた。転校初日に殴られたのには驚いた。

暴言も日常茶飯事で、同級生から殴られて血が出ている私に「お前がろくでもない人間だから殴られるんだ」と言い放つ先生もいた。

そんなこんなで私の周辺にいた大人は、子どもであった自分を痛めつけ、抑圧という檻に入れることに成功した。

その結果、そういった大人たちの束縛から解放されて8年も経過したのに、いまだに抑圧を感じる。

例えば、音楽を聴くことに罪悪感を私は今でも持つ。音楽を聴く行為は禁止されており、破れば暴力。それが身体にしみこんでいるから、音楽を聴こうとすると口は乾き、鼓動が早まる。だから音楽を聴くことは怖い。

以上のことを明確に理解できるようになったのは、カウンセリングを受け始めてからだ。私が通うメンタルクリニックの医師は、「カウンセリングなんて意味ない」と言っていたが、患者である私からしてみれば、医師の診察や処方される薬よりよっぽど効果あるように感じられたのだがな。

今後は、この抑圧を完全に取り払っていきたいと思っている。この間、電車の中で恐る恐る音楽を聴いたときに、周囲を見渡して思ったことがある。

「音楽を聴いている自分を見て、怒り狂う人はもう存在しないのだ」

この感覚を腹の底から持てたとき、本当に世界が変わった気がした。と同時に、この感覚を抑圧を感じる全ての要素に対して持ちたい。

自分の周りにいた大人たちにいってやりたい。余計な宿題を背負わせやがったなと。